croken7のブログ

詩集・日記

「10代の子どもが育つ魔法の言葉」-を読んで

〔テーマ〕ひとりの人間として、大切にされれば、子どもは思いやりのある人間になる
 *決断のとき*
 私は若い頃ビートルズのジョン・レノンに憧れてピアノを弾いていました。独学だったのと、もともと才能がなかった事もあり、ピアニストを目指すのを止め子供に、ピアニストへの道を託しました。幼い時からピアノを習わせ数々のコンクールに参加させていましたが、彼女が12歳になった時に、ある日突然「コンクールに出たくない」と言い出し、ピアノも辞め「バレーボールがやりたい」と言い出したのです。突然のことで妻も、私もショックでした。ピアノを弾くことが何より好きだった彼女の言葉とは思えず、「せっかくここまで頑張ってきたのに勿体ないよ」と、妻は説得したのです。しかし彼女は妻の気持にはお構いなしに、「バレーボールをやっていると楽しいし、友だちも増えるから」「それにコンクールは緊張して間違いばっかりで恥ずかしいし」と言うのです。彼女は人前での演奏に自信を無くしていました。私は、その言葉を聞き、若い時自分も才能がないと決め付け簡単に夢を諦めた時の事を思い出しました。しかしあのまま音楽を楽しむために努力を続けていれば、自分の納得いくレベルまでは上達したかもしれないとの、思いがあり「コンクールには出なくていいから、自分の納得いくまで続けていかないか」と説得したのです。簡単に物事を投げ出す大人になって欲しくないとの思いもありました。しかし彼女は「最近ピアノ弾いててつまらない」と言うのです。いろいろな事を話し説得を続けましたが、彼女の考えは変わらず、ついには、情熱が冷めてしまったものに執着させても、かえって自信を失うだけかと思い、「分かった好きにしなさい」と言いながら内心は続けて欲しいという強い気持ちだけが残りました。そして数ヶ月がたちバレーボールの試合を見に行った時に、娘が生き生きと友だちに声を掛けている姿がそこにはありました。その時初めて私が娘に求めていた価値観や彼女に対する思いに誤りがあることに気づくと共に、彼女にとって優先させたい事を尊重していなかったなと反省しました。今は自分に与えられた課題よりも、自分の「何かをやりたい」という『自分探し』の結論を聞いてあげるべきだったなーと思いました。またピアノを続けて欲しいとの思いは、私の押し付けの夢であって、生き方を選択し、決断するのは彼女自身なのだから、決断した事を批難したり否定してはいけないと感じました。
つづく→*「うちの子にかぎって・・・」*

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